「黒い羊」

「だいたい角が無いのにな」
「見間違えたかな。寝ぼけてたんさ」
「今年もまたその話?」
「『寝ぼけてた』! それこそが、だって、わたしたちだっていう証拠だわ」
「やだ、集団の私たちを見ても催眠効果なんてないよう」
「あれ、知らなかった? あるんだよ」
「ええ? なんで? だって、どうなってるの?」
「だってあの、羊飼いとか、ほら、動物園とか、どうするの?」
「どうするの?」
「ふふん」
「桃色、落ち着きなさい。うちのおじいさんはそんな催眠かかってないでしょ。ちゃんと起きてる」
「あ、そうだよね!」
「うちのおじいさんは、なんにしろ特別だろうさ」
「それも、そうだよね……」
「ふふん」
「っていうかね、何しているのか、謎だわ、あの人、ふだん」
「私たちといっしょなんじゃない?」
「ふだんは、あの人も、ここの家に住んでいないのかしら?」
「丘で草食んでる?」
セイタカアワダチソウとかな」
「ふつうに暮らしてるにしても、具体的には何やってるのか、分かんないよな。年に一回しか顔合わさないし」
「私、会ったよ。たしか、春だったけど、私のとこの牧場に来てくれて」
「来てくれて?」
「元気でやってるかって」
「ああ、あったあった。十年も前かな、俺のとこにも来たよ」
「ふうん」
「なんで僕のとこ、来ないんだろう」
「ずっと前だけど、私、おじいさんに聞いてみたことある。ふだん何やってるのか」
「へえ。そうなんだ。そしたら?」
「『年がら年中寝てるようなもんだよ』って笑ってた」
「なあに、それ?」「確かに」「あっ、耳かも知れない」
「え? 耳?」
「そうね。地獄耳だわ、どっちかって言えば」
「あの……、何の話?」
「おじいさんの耳の話」「角と見間違えたものの話」
「だって寝ぼけてたんだものね」「ありゃ確かに地獄耳だわ」
「まあ、夜だし、暗いし、ねえ」
「先代にはあったのかな」
「角? というか、私たちの先代がいたの?」
「さて」
「まあ、ヤギ連中じゃないのはよかった」
「そんなに似てないと思うけど」
「はは。あいつらじゃ、じいちゃんへの手紙、食っちまうじゃないか。そこはさすがに間違えないよ」
「なんでそんなにヤギを目の敵にするかしらね」
「ゴート・コンプレックス」
「髭が、欲しいのね」
「髭?」
「おじいさんは、もっているわ」
「ああ。欲しいかも」
「緑色、欲しいの?」
「グランパ・コンプレックスだ!」
「コンプレックスってお前、全然シンプレクスじゃないか」
「あのね」
「なあに」
「ヤギにだって、食べていい紙と食べちゃダメな紙の区別くらいつくよ」
「そうだよね」
「いやいやいや」
「なあに?」
「そもそもトナカイやヤギに煙突掃除ができるわけない!」
「ああ」「ああ」「ああ」「おお!」
「できるさ」
「なあに?」
「できるけど、俺らほど上手くはできない」
「いいえ」
「ああ?」
「私たちほど上手く手早く完璧にはできない」
「まあね」
「つうか、まだ?」
「おじいさぁん、遅れますよう」
「まあだあ?」
「ぐずぐずしてると先行っちゃうぜぇ」
「おじいちゃあん!」
「グランパー!」
「なにそれ」


        ☆

「ところでセイタカアワダチソウって何? 旨い?」
はてなキーワード見たら分かるよ」
        ☆

「来ないな」
「おかしいよね」
「もう空の上の頃だわ、いつもなら」
「ああ、俺もそんな気がするな」
「くそっ」
「じいさん、今年はウシ連れて行ったな」
「ウシ?」
「俺たちの代わりだよ」
「なんでウシなの」
「勘で」
「あのさ」「ウシはちょっとないんじゃないの」
「ふふ。なんでさ」
「えっ、なんでって……、あ、やっぱり煙突に入りそうにないし」
「そうか。うん、あのさ、言い難いんだけどさ」
「なあに」
「まあ言えよ」
「ああ、ウシの話とは違うんだけどさ、今日、まだ、23日じゃないか?」
「……」「……」「……」「……」「……」「……」「……」
「うそ?」
「……」
「なんでー? なんで間違えるんだー? なんで今言うんだー?」
「そりゃ今気付いたからさ」
「なんで今気付くんだー!」
「あー。揃いも揃ってな」
「ほんとだよ。よく揃ったよね、前々日に……」
閏年かなんかの関係かー?」
「四年前も別にふつうだったと思うけど……」
「煙突に、呼ばれたのかしら」
「え?」
「ねえ。どうするの?」
「どうしようもなくない?」
「そうだよね」
「あたし、寒い」
「うん、寒いな。なんか急に寒くなってきた」
「風邪ひいちゃうよ」
「舎に戻ろうか。明日の仕事に障る」
「ってかさ、何する、今日」
「そうだよね。丸一日空いちゃったね」
「探検は絶対寒いよ」
「寝て過ごそうぜ」
「そうするか」
「あーあ、お腹空いたあ」
「舎だ舎だ」
「あ。あ。なあ、じいさん、今、何してるんだろう?」
「そうね」
「寝てるんじゃない」
「『年がら年中寝てるようなもんだ』ってあれ?」
「ううん。ふつうに夜だし」
「あ、そうか、そうだよね」
「とにかく家の中にいるんだよな?」
「留守っていうのはありえるさ」
「ふうむ」
「見に行ってみようか」
「あそこはカーテン閉まってるな」
「まわってみよう」
「僕行ってみるから、そっち紅色」
「ああ」
「灰色、先に舎に戻ってる?」
「いっしょに戻ろっか」
「ううん。あたしも見る。桃色、寒かったら戻ってていいよ」
「あ、そう……お気遣いありがと。私も行くけど」
「おおーい。あっちも探れそうになかった」
「この窓もちょっと俺らには高いな」
「そうだね」
「じゃあ、橙色、そこに立って」
「あ? ふつうに立ってても見えんぜ?」
「向きがね、そうじゃなくて、横に、壁に寄り添う感じで」
「おい。まさか」
「えっと、青色いい? 橙色の横に並んでしゃがんでもらって」
「いいさ。俺が二番目に小さいんだからさ」
「はい、じゃあ、灰色、できあがったふかふか羊階段を上ってちょうだい」
「はぁい」
「のぼりにくい」
「おい、灰色」
「見えるか?」
「うーん」
「唸ってないで早く見ろ」
「いないよ」
「ようく、見るのよ。隅から、隅まで」
「見た。いない」
「ちゃんと見ろよぉ」
「みったっ!」
「ぐがっ、分かったから跳ねるてくれるなっ」
「こーら、灰色。あんたの前足が跳ねると青色もちょっと痛いでしょ」
「はぁい、ごめんなさい」
「ちぇっ」
「なあ、どうする?」
「ほんとに家の中にいるのかなぁ」
「こんなに外で騒いでるのに、出てくる様子も無い、と」
「入ったら分かる」
「やっぱり?」
「行こう」
「じいさんの生活、気になるしな」
「煙突ね」
「おじいさんが一緒じゃないけど、私たちだけでいけるのかな」
「先に中にいるんならいけるんじゃないか」
「いたら、ね」
「やってみたらいいさ」
「ねえ、暖炉、使ってないよね?」
「問題ないよ。火傷するわけでなし」
「大丈夫、煙も出てない」
「羊ぃの丸焼き〜」
「や、やめてよっ」
「羊ぃの姿焼き〜」
「やだ、想像しちゃったよー、橙色が姿焼きになってるとこ」
「俺のかよっ」
「あんたが言ったんじゃない。毎年毎年まったくもう」
「裏口から行くか?」
「いいえ。煙突からよ。予感がするの」
「殺人事件の?」
「なんでよ」
「密室だから☆」
「この中で殺人事件だったらさ、おじいさん、大変なことだ」
「ほんとだよ」
「いいえ」
「密室ではないわ、煙突があるもの。この煙突は、きっと、掃除のし甲斐があるわ」

「じゃ、行こうぜ」
「で、どうやって」
「じいさんがいないから……、とりあえず点呼! 1!」
「2!」
「3!」
「4!」
「5!」
「6!」
「7!」
「8!」
「おお。煙突突入成功!」
「うわ黒っ」
「黒いな」
「黒いわ」
「黒すぎ」
「ほんと」
「黒い」
「……」
「まあ、煙突だからさ」
「あるのかしら、掃除したこと」
「少なくとも、私たちは初めてだよね」
「煙突の中ってやっぱりあったかい」
「体動かしてるからっていうのもあるでしょうね」
「火が付いてるんじゃないのか」
「やめてってばー」
「けっこう骨だなぁ、これ」
「いつもなら一瞬よね」
「さすがじいさんの煙突」
「手強いぜ!」
「頑固なスス汚れも、頑固な羊には敵わないのよ」
「まあね」「まあね」「まあね」「まあね」「まあね」「まあね」「まあね」
「ってかね……俺ら頑固なの?」
「あ、じいさんいた」
「ほんとだ」
「寝てるね」
「明日は徹夜さ」
「幸せそうな、寝顔だわ」
「そうだね」
「いやあ、仕事したした! らっくしょう。へえっ、なかなかいい部屋だな。お。じいさんだ」
「起こすなよ」




 ……。



 おじいさんの寝室で、おじいさんは目を覚ます。カーテンを開けると、冬の午後一時の柔らかな光が部屋に差し込んだ。
「おやおや。わしにも贈り物がやって来るとは。……まったく、何百年ぶりのことだろうね」
 部屋に敷かれたじゅうたんの上には、うずくまって寝息を立てる八つのもこもこの、黒いかたまり。
 それから、おじいさんは、ちょっと慌てた。窓を見て、空を窺って、ベッド脇の時計を確認して、壁の日めくりが「12/24」になっているのを見て、小さく息をついた。「よかった。寝過したかと……」



 ……。



 めええ、めええと彼らは鳴いた。
「おやまあ、ここにいたか、お前たち。そうして雪の中にいると、特別色のお前たちも、ふつうの羊みたいだね。雪の色を吸い込んでみんな揃って白い羊になっちゃって。昨日、洗ってやんなくてもよかったかな。いやいや、冗談だよ。ありがとう。ソリはあっち、ほらほら、元気だね、いいことだ。おやおや、ちびちゃん、どうした、威勢がいいな。こらこら、怒るな、橙色。さあ、そろそろ日が沈む。始めるとしよう。連夜で悪いが、今夜もよろしく頼むよ。なにせ、お前達くらい、煙突掃除が上手くて手早くて完璧で素敵な羊たちは、いないからね」
 ぴかぴかの衣裳を着たおじいさんが、準備を終えて、おっこらしょとソリに乗り込む。前には八頭の羊。背中には羊よりももこもこした大きな白い袋。
「忘れ物はないかな。帽子は被ったし。髭もつけたし。行こうかね。さて、羊がひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな……」
 数え終えない内に羊たちは駆け出し、ソリは軽やかに浮く。
 子どもたちの夢の世界へと、では出発。