鈴をつける(長)

 鈴には二種類ある。人が作ったものと、自然に増えたものと。自然に増える場合はサボテンのように鈴から小さな鈴が生えてくるのだと聞いたが、生えているのを私自身は見たことがない。私のように鈴に関わる仕事をしている人間を除くと、ほとんど知られていないし、自然というよりも、いっそ、不自然に、と言うべきかもしれない。ただ、私は子は見たことがある、というよりも、子どもの頃に飼っていた。私がしていたのと同じ仕事をしていた父から、もらったのである。鈴の子はころころとよく動き、ころころとよく鳴る。何を考えているのか、さっぱり分からなかったのは、私が子どもだったからなのだろうか。さっぱり分からない、と思ったことだけよく覚えている。短くない期間飼っていたはずだが、その後どうしたのか、覚えていない。動きさえしなければ、人の作った鈴と変わりはしないから案外、私も、子ども時分以外にも、鈴の子を見たこともあったのかもしれない。ただ私の認識の上では、五十年以上ぶりに会ったのだった。
 どこからか、迷い込んできたのだ。愛らしい音に、すっかり習慣になった午睡から目覚めると、畳の上を転がっていた。あちらにころり、こちらにころころり、遊んでいるようだった。私は引き出しから、わざとその鈴の子と同じくらいの大きさの鈴を選び、遊んでいる鈴の子に結わえた。父がやったのと同じやり方だ。こうしている間は、鈴の子は私の物だった。父のつけたのはほんの小さな鈴だったが、私の新しい鈴の子は、取りつけた鈴と並んでまるで双子のようになった。
 鈴の子は、今は使う者のいない猫用の扉から、よくふらりと遊びに出た。結わえてあるから、当然戻ってくる。鈴に朝も夜もあるわけはなく、夜中、私が寝入った頃にりんりんと音を立てて戻ってくることもあった。子どもの頃には、幾度か、鈴の子が出られるよう、わざとドアを開けたままにしておいて、鈴の子の跡をつけたことがある。いつも失敗した。家を一歩出ると、見失うと言うのか、もう見えなくなっているのである。逆に、外では鈴の子は私から離れようとしたことがない。庭でも同じだった。子どもの頃の、あの鈴の子は、「うち」を分かっていたのだろうか。
 新しくやってきた鈴の子は、少しずつ、大きくなっていった。それに従って、私はつける鈴を大きくしていったが、ある時、思い立ち、双子のような鈴を選ぶのはやめ、ごく小さな鈴をつけた。それは、仕事を辞めてから、唯一作った鈴だった。しかし、その時から、鈴の子は成長を止めたようだった。たまたまかもしれないが、不思議なことだと思った。
 五センチ程の大きさにまでなっていた鈴を、放してやることにしたのはなぜだったのか。夕方頃、解いてやると、ころころ辺りを転がっていたが、翌朝、いなくなっていた。その昼も、夜も、次の日も、戻ってくることはなかった。
 それから一年ほど経った今、またも昼寝の最中に、右のポケットに鈴の子が入りこんでいるのを見つけてしまった。
「おやまあ」
 言いながら、つい頬が緩んでしまう。だが、小さな鈴の子がころんと鳴った時、その音色に私は目を見張ることになった。昨年、手放した鈴の子がやってきた当初とそっくりな音色に聞こえたのだ。
「お前の親は元気?」
 鈴の子は、知らん顔で、もう一度ころんと鳴る。父が私にくれた鈴の子は、どうやって父の元へやってきたのだろうか。私はその話を父に聞いたのだろうか。



第114回タイトル競作。
もらった評を参考にした(確実に、できてないところもあるけれど)。