読んだ!

吾輩は猫である』を読みました。読み終えました。とにかく最後のページまでめくりました。ああ、読み始めたのが8月下旬。「名前はまだない」の回の選評も終わった頃だったと思う。いま11月ってさ。以下、変色部分、はてなに下書き保存していたもの。
 良い機会なので、青空文庫で「吾輩は猫である」を読んでいる(未読だったー)。といってもまだかなりの序盤。スクロールバーはまだまだ下りる余地がある。
 で、本屋に寄ったので、見てみたのだ。短い話じゃないんだね、『吾輩は猫である』って! 『三四郎』とか『それから』とかのほうが本がだいぶ薄かった。青空文庫のスクロールバー見ていても全然長さの見当がついていなかった。楽しそうなタイトルだし、短いだろうと勝手に思っていた。ディスプレイ上でいつ読み終わるだろ。というか読み終わるのか。読んだら終わるだろうけど。ほんとか。(何が。

 で。その方が読みやすかろうと思ったのでやっぱり紙の本で読むことにしたんですが、面白くないことないんだけど読み進めにくい。ふだん読みやすいのばっかり読んでるからなあ。あるいは人が主人公じゃないから? 100年前のだから? いや、でも、100年前と今とあんまり変わってないんだねえ、人間(日本人)、と思った(風呂については変わったようだけど)。同じ方向むいてるというか。あるいは、夏目漱石先を見通していてすごいなあ、ってことか。特に後ろあたりの章で。ええと個人についての辺り。あとヴァイオリン面白かった。最後はどうなっちゃうかは知っていたけども、ちょっとさみしかった。なまじ2か月超もかけて読んでいたから余計にか(笑)。感想が後半のことばかりに偏っているのは前半を読んだのがだいぶ前だからですよ。ええ、記憶の関係で。
 さて、この小説、十二章に分かれていて八章にですね……、

柳宗元は韓退之の文を読むごとに薔薇の水で手を清めたと云うくらいだから、吾輩の文に対してもせめて自腹で雑誌を買って来て、友人の御余りを借りて間に合わすと云う不始末だけはない事に致したい。

 ひいい。申し訳ございません。図書館で借りました。借りては期限が来て返し、借りては期限が来て返ししていました。そのうえ、引用も青空文庫からコピペしました。ひらにひらに……。やっぱり夏目先生すごいです。