詩について

さて、流行っているので(笑)
詩と超短編について、というよりも、詩について。

相手を詩だ、と思うと急に手放せた。
超短編として読んでいて「分からないなぁ、うーん、うーん、うーん……」だったのが、「これは詩だ」と認識してみると、すとんと落ち着いた。詩は分からないまま受け取ることが可。自分にとっては。
自分にとっては詩はそういうものだ、という話なのかもしれない。

詩は、素直なその人であればいいと思う。
ひねくれた考えをする人(時)ならば、素直にひねくれた詩であればいいと思う。
あればいいと思う、というか、詩は、素直なその人であるものである、と多分、私は思っている。
嘘であっても。遊びであっても。

自由度の高いもの。
作者に深く裁量を任されているもの。


素直でなければならない、という主張ではなく。
そのまま読めばいい、というか。理解できなくても、
つまり読み方の問題か。

ほとんどその作者(の一部)というか。

どんなものでも、これは詩であると捉えられる気が、以前した。

役所の申請書も、
会議の議事録も、
電話帳も。
作者は、その社会の社会制度だったり、その会社の会議だったり、電話網だったり、するのか。

ちょっと広げ過ぎたか(笑)

少し話がずれる。詩の投稿サイトにいて、何年も前になるが、たくさんの人がその詩を褒めるコメントをするのだが、私には良さが分からず、少し疎外感だった。つまりちょっと寂しかった。案外初めての感覚だった気がする。全部が全部でなくとも、お愛想やあるいはほかの人につられて褒めているのかな、という可能性まで考えたのだが(笑)
でも別のサイトでも、何度かあった。そちらのほうは「たくさんの人がその詩を褒めるのが分からない」、ではなくて、「この人がその詩を褒めるのが分からない」だったかな。こちらはだから、ごく個人的な感じのことになるか。
頭ででも、良いと思った人たちのその詩に惹かれた理由なりが理解できれば、寂しくないんだろうな、とあとで思ったのではなかったか。
頭ででは、考えても、分からなかっただろうか。

その詩を分からなくても寂しくないが、その詩を褒める人の気持ちが分からないと寂しいんでしょうか。(なんで突然語調が変わるんですか。