いつかにわとり豆になる 2

 おそらくは世界規模の、強力で繊細な暗号化組織が存在している。彼らはささやかなものも見逃さない。いや、ささやかなものをこそ狙うのではないか。その、私たちの書き残した記述から私たちが注意を逸らした間に──とは言っても、彼らは用心深く、たとえば、一分余所を見ていた、くらいでは多くの場合行動を起こさない──彼らは暗号化を行う。彼らは決して私たちに姿を見せることがないのにも関わらず、こちらのことは注意深く観察しており、ある者の記述はたかだか三日放置されていただけでも暗号化してしまうのに、油断ならないと判断したある者の記述は一年放置されていても手を出してはこない。しかし、これは無理だろう、と思われる記述に対しても、彼らは充分な時間をかけて慎重に暗号化を行うのである。その暗号化の技術こそが驚異的で、ほとんど理解を超えている。私のような素人が見ると、原文とまったく変わっていないように見える。それでいてもう、記述は全く解読不能になっているのだから素晴らしいと言うより、もはや不可解と言った方が良いのではないか。彼らは自らを秘匿し続け、私たちは彼らの存在を、彼らの仕事を見ることでしか確認できない。もしかして、それは彼らが自分自身をも暗号化してしまっているからでは、などと私は夢想してしまう。そして、たぶん一昨日前にノートの上の方の隅に私が書いておいた記述は、早くも彼らによってプロテクトされてしまっており、私には何が何やらなのである。ノートと筆跡は私のものだが、記述はもはや彼らのものであり、私のものではないのだ。彼らはこれまでに莫大な量の記述を手に入れたはず。ひょっとすると世界は既に彼らの手の中にあるのではないか、と私はまたぞろ夢想する。試験勉強など全く手につかない。困ったものである。それはそれとして、私も彼らの丁寧な仕事を見習い、毎回ごく丁寧にメモを取るべきなのだろうか?