「シュークリーム」

 高校に入学して四日目の朝。
 シュークリームに捕らわれてしまった。というか、人から見るとどうもわたしは、シュークリームになってしまった、ようだ。
 考えてみるに、高校生になったらもしかして彼氏とかできるかな、なんて三日間思いを馳せ続けていたわたしの甘ったるい考えが筒抜けだったのだろう、シュークリームに。
 少し巨大な(それでも元のわたしの両手に乗るほどの)宙に浮くシュークリームである。どうも、位置が、元のわたしの目線と同じ位置なのである。わたしが鏡を見てもそうだし、他人が見ても同様らしい。シュークリームのわたしは口がないのに喋る(てっぺんより少し後ろに小さな穴があるらしいけれど)。
「お姉ちゃん、っていうより、シュークリームちゃんだね」食卓で妹は言う。「穴もないのに、シューにカレーが吸いこまれていくって不思議ー」
 わたしの元足の部分を誰かが手で触ろうとする。すると、足も何も見えないのだが、触れる感覚がある。夕焼けより優しい色の、薄暗い囲われた空間で、べたべたするクリームに半分埋もれて、バニラの香りにくらくらしている、という感覚もある。前者の感覚があるため、元足を踏まれたり、人にひっかけたりすると困るので、わたしは昨日から電車通学はしていない。




こちらに来られる方には説明しなくても良さげですが、「コトリの宮殿」(http://homepage2.nifty.com/helpless/kotori/index.html
で、募集していたスイーツ超短編……に間に合わなかった分ですよっと(笑)。私としては、どう考えてもガトーショコラが良かったのだが、よく考えたらガトーショコラって食べたことあるのかね、私は。一、二度くらいは食べていてもおかしくはないが(あ、一度食べたかな)、これまでに食べる機会そんななかった気がする。チョコレートケーキの方がたぶん食べている。そんな曖昧記憶でガトーショコラガトーショコラ言っている私は、まあ、おいしそうだなという、うん、だっておいしそうでしょうよ、やわらかそうなチョコの塊であって、ええとこの文はちょっとおかしいですよね、読点で結んじゃったからな。

時間は経ち

時間は経ち、
あの日から時間は経っていき、
つるつると時間は流れていき、
その分、あなたが遠くなる。
私と一緒にいきているあなたはどのくらいいるのか。
あなたと一緒にしんだ私はちゃんといますか?
そんなことを書いている私は、ここに一人いる。
涙では追いつかない。
悲しみに追いつかない。
あなたは遠く、悲しみも遠く、時間はつるつると、止まられても困るけれど。時間が経っていく。

鈴をつける(長)

 鈴には二種類ある。人が作ったものと、自然に増えたものと。自然に増える場合はサボテンのように鈴から小さな鈴が生えてくるのだと聞いたが、生えているのを私自身は見たことがない。私のように鈴に関わる仕事をしている人間を除くと、ほとんど知られていないし、自然というよりも、いっそ、不自然に、と言うべきかもしれない。ただ、私は子は見たことがある、というよりも、子どもの頃に飼っていた。私がしていたのと同じ仕事をしていた父から、もらったのである。鈴の子はころころとよく動き、ころころとよく鳴る。何を考えているのか、さっぱり分からなかったのは、私が子どもだったからなのだろうか。さっぱり分からない、と思ったことだけよく覚えている。短くない期間飼っていたはずだが、その後どうしたのか、覚えていない。動きさえしなければ、人の作った鈴と変わりはしないから案外、私も、子ども時分以外にも、鈴の子を見たこともあったのかもしれない。ただ私の認識の上では、五十年以上ぶりに会ったのだった。
 どこからか、迷い込んできたのだ。愛らしい音に、すっかり習慣になった午睡から目覚めると、畳の上を転がっていた。あちらにころり、こちらにころころり、遊んでいるようだった。私は引き出しから、わざとその鈴の子と同じくらいの大きさの鈴を選び、遊んでいる鈴の子に結わえた。父がやったのと同じやり方だ。こうしている間は、鈴の子は私の物だった。父のつけたのはほんの小さな鈴だったが、私の新しい鈴の子は、取りつけた鈴と並んでまるで双子のようになった。
 鈴の子は、今は使う者のいない猫用の扉から、よくふらりと遊びに出た。結わえてあるから、当然戻ってくる。鈴に朝も夜もあるわけはなく、夜中、私が寝入った頃にりんりんと音を立てて戻ってくることもあった。子どもの頃には、幾度か、鈴の子が出られるよう、わざとドアを開けたままにしておいて、鈴の子の跡をつけたことがある。いつも失敗した。家を一歩出ると、見失うと言うのか、もう見えなくなっているのである。逆に、外では鈴の子は私から離れようとしたことがない。庭でも同じだった。子どもの頃の、あの鈴の子は、「うち」を分かっていたのだろうか。
 新しくやってきた鈴の子は、少しずつ、大きくなっていった。それに従って、私はつける鈴を大きくしていったが、ある時、思い立ち、双子のような鈴を選ぶのはやめ、ごく小さな鈴をつけた。それは、仕事を辞めてから、唯一作った鈴だった。しかし、その時から、鈴の子は成長を止めたようだった。たまたまかもしれないが、不思議なことだと思った。
 五センチ程の大きさにまでなっていた鈴を、放してやることにしたのはなぜだったのか。夕方頃、解いてやると、ころころ辺りを転がっていたが、翌朝、いなくなっていた。その昼も、夜も、次の日も、戻ってくることはなかった。
 それから一年ほど経った今、またも昼寝の最中に、右のポケットに鈴の子が入りこんでいるのを見つけてしまった。
「おやまあ」
 言いながら、つい頬が緩んでしまう。だが、小さな鈴の子がころんと鳴った時、その音色に私は目を見張ることになった。昨年、手放した鈴の子がやってきた当初とそっくりな音色に聞こえたのだ。
「お前の親は元気?」
 鈴の子は、知らん顔で、もう一度ころんと鳴る。父が私にくれた鈴の子は、どうやって父の元へやってきたのだろうか。私はその話を父に聞いたのだろうか。



第114回タイトル競作。
もらった評を参考にした(確実に、できてないところもあるけれど)。

鈴をつける

 <鈴の子>が迷い込んで来た。
 愛らしい音で午睡から目を覚ますと、畳の上を転がっていたのだ。私は面白半分に、<鈴の子>に、鈴をつけてみた。引き出しから、わざと同じくらいの大きさの鈴を選んだ。まるで双子のようになった。音は少し違う。<鈴の子>が動いて鳴り、当然つけた鈴も鳴り、二つの音色はむしろ騒がしく、そのささやかな騒々しさを私は楽しんだ。
 <鈴の子>はよくふらふらと遊びに行った。結わえているから戻ってくるのであるが。鈴に、朝も夜もあるわけはなく、夜中、私が寝入った頃にりんりんと音を立てて戻ってくることもあった。
 <鈴の子>は大きくなった。それに従って私はつける鈴を大きくしていったが、ある時、思い立ち、ごく小さな鈴を選んだ。その時から、<鈴の子>は成長を止めたようだった。たまたまかもしれないが、不思議なことだと思った。
 五センチ程の大きさにまでなっていた鈴を、放してやることにしたのは、なぜだったのか。夕方頃、解いてやると、ころころ辺りを転がっていたが、翌朝、いなくなっていた。
 それから一年ほど経った今、またも昼寝の最中に、右のポケットに<鈴の子>が入り込んでいるのを見つけた。
「おやおや」
 言いながら、滅多にないことが二度も続いたことに、頬が緩んでしまう。だが、その小さな<鈴の子>がころんと鳴った時、音色の懐かしさに私は目を見張ることになった。
「お前の親は元気かね」
 <鈴の子>は、知らん顔で、もう一度ころんと鳴る。


好きな車窓

好きな車窓は、田んぼの風景
山のふもとに、広がる田んぼ
ミニチュアの軽トラがあそこに見える

好きな車窓は、知らない街中
通り過ぎるだけ 行ったことのない店の看板
何度も通る、通るだけの、知らない街中

好きな車窓は、水平線
海の色、空の色、海の波、空の雲
今度は海に行こうか
通り過ぎていく海に、約束もせずに

好きな車窓は、上に行ったり下に行ったり波線電線

好きな車窓は、流れる川

好きな車窓は、いつもの風景

好きな車窓は、眩い夕日

好きな車窓は、私の顔が映る
もっと近づいても、真っ暗世界
灯る明かりを、追い越していく
どこへ行くのか、レールに乗って

好きな車窓は、今は見ないで
揺られながら、本を読んでる(あるいは寝てる)